チャップリンの予言
遠山慶子

『音楽の贈りもの』春秋社(2009年7月)から


小さい頃から音楽好きの両親の下で、一日中音楽を開いて育ったせいか、私は音に対して特別な感受性ができてしまっているのかと思うことがあります。いまでも音楽を聞きながら、ほかのことをするのは何よりも下手ですが、子供の頃、音楽が鳴り出した途端に、口のなかのお菓子をおっことしてしまって笑われたりしました。

最近も、ある地方の駅で、新幹線を待っていたのですが、スピーカーから流れてくる音楽に心をとらわれてしまって、その新幹線に乗りそこなったことがあります。駅員さんに、いまの列車に乗るんじゃなかったんですかといわれて、はっと気がついたものです。ですから、ホテルなどで流されているバックグラウンド・ミュージツクは、正直にいってとても苦手です。友人と御飯を食べていても、ゆっくりと会話を楽しむことができません。スーパーで買物をしていても、モーツァルトの音楽などが聞こえると、買うはずの辛子のびんがマヨネーズになっていたりします。

私の場合は極端かもしれませんが、知人の音楽家にも似たような人が少なくありません。何とかあの音楽をやめさせてもらえないかと、外国人の友人に頼まれることもしばしばです。

音楽は別にしても、駅などのスピーカーの音がうるさいというような話はよく聞きます。 最近はずいぶんよくなったようですが、しかし日本は騒音の多い国だというのは否定できないようです。時にはもうそれが、必要なものになってしまっているのかと思うこともあります。いまの人は、いろいろな音とのつき合い方が上手になっているのかもしれません。

でも、私のような人が決して少なくないというのも事実です。公共の場所では、やはりそういうことを考えていただきたいと思います。大きな音やいろいろな音が聞ける場所は、たくさんあるからです。

私が思い出すのは、チャップリンの言った言葉です。勢いのいい速い音楽と、静かな遅い音楽を聞きながら、同じようにスープが飲める人は「モダンタイムス」の人間だ、と彼は言っています。「モダンタイムス」は、彼には不幸な時代だったのです。


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