街の郭公(コラム「放射線」)

東京新聞 2009年7月8日(夕刊)


仙台の市鳥は郭公(かっこう)だが、この数年、自宅でその啼(な)き声を聞かない。河川敷が整備されすぎて、托卵(たくらん)する相手のオオヨシキリが少なくなったから、という説もあるようだ。

一方で、街中での電子音による郭公は、よく耳に付くようになった。もちろん以前から聞こえてはいたが、最近、視覚障害を持っている人たちと洒を飲む機会があり、横断歩道の音響信号機について、なるほど、思わされることがあったからである。

「カツコウ、カツコウ」と鳴るのと、「ピヨ、ピヨ」と鳴るのとでは、渡っている方向が、南北なのか東西なのかを知らせているという。方角は地方によって様々(さまざま)なので戸惑うこともあるようだが、南東や北西に渡ることもあるだろうから、一概に統一はできないのかもしれない。

「通りゃんせ」のメロディで知らせるものもある。「『カツコウ、カッコウ』だと、間に沈黙が挟まるので、青信号が終わってしまったんじゃないかと焦るけど、『通りゃんせ』だと、後どれぐらい時間があるのかがわかっていい」という意見に対して、「僕は方角が分かった方がいい」と反論する声も挙がった。特別支援学校(旧盲学校)の全盲の先生たちとの会話である。視覚障害者といっても、そこには健常者と同じだけ、個人による違いがある。うるさい、という地域住民からの苦情で、夜間は鳴らさないところもあるそうで、これには皆が、「鳴っているはずのところが鳴らないのは、とても戸惑います」。電子音にも情は宿っている。

(佐伯 一麦=作家)


home