プロムナード:酒場とテレビ
マイク・モラスキー

日本経済新聞 2014年3月11日日(夕刊)


昨夜、家の近くの飲食店で一杯やりながら夕飯を食べていた。店は昼間、カウンター中心のいわゆる「昭和風の洋食屋」だが、夜になると和洋折衷の呑み屋に変貌する。店名はフランス語だが、入り口の看板には小さな文字で"Beer Restaurant"というよくわからぬ説明が添えられているところが愛おしい。

 最近までランチタイムにはラジオのトークショーがかかり、夜は1970年代のアメリカンロックやポップスがBGMで流れていて、テレビも加わったわけで、アナログ人間としては気が散る要素が増えてしまった。

 同時進行のBGMとテレビに気を紛らわされないように頑張っても、右耳には音楽、左耳(そして両目)にはテレビがすーっと入ってくるから、かなわない。

 それでも、この店は気に入っている。マスターは無口でむっつり顔が、いい人だ。店内の気取らない雰囲気も好きだ。しかも、食べ物は手頃な価格ながらけっこう旨い。

 夕べに立ち寄ったとき、テレビが点いていたが、たまたま消音になっていたので助かると思った。もちろん、BGMはいつも通り流れていたが、さすがに両方が音を発信しているとよりは楽なはずである。ところが、映像と字幕が画面を次々とよぎっていきながら、それとは全く関係ない歌が同時にバックで流れていると、分裂している感じがする。

 もちろん、普通のテレビ慣れした客は気にならないだろう。とりわけ数人で呑みながら会話に浸っている人にとって、BGMもテレビも存在しないに等しいかもしれない。だが、幸か不幸か私はあの店にはいつもひとりで行くから、カウンター席に腰かけることになる。そうすると、まるでステレオのごとく、音楽は右側から、テレビは左側からバランスよく(?)わが耳に入ってくるわけで、左方面に目をやるとテレビもよく見られる。対照的に、たった2つのテーブル席はテレビの下辺りにある。BGMから離れており、テレビも容易に見られない位置になっている。

 夕べ、カウンター席に腰かけたとき、5人の男女が奥の片方のテーブルを囲み、だいぶ盛り上がっていた。すでに大声で下ネタが飛び交っていたことから察すると、テーブルを飾っている焼酎のボトルは2本目だった可能性がある。

 狭い店での大声だけに、会話はどうしてもわが耳まで入ってくる。しかし、楽しそうだったし、私も何度か頬が緩んだから、決して不愉快に思っていなかった。単に、カウンター席から彼らの頭上に映っている無音のテレビをぼんやりと見ながら、耳に入ってくる会話とBGMに身を任せていた。

 それから字幕付きのニュース番組が映り始めた。ちょうど5人の酔客が一番盛り上がっているときだったが、テレビは消音になっており、画面は彼らの目に入らなかった。

 そして、トップ項目で報道されたニュースは、女子中学生の殺害事件だった。それに気づかない5人組には、何の罪もないが、そのまま続いた愉快な話が、突然、私には不謹慎きわまりないものに聞こえた。

 やはり、酒場にはテレビが合わないものだ。夕べ、改めて痛感させられた。

(日本文化研究者)


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